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Handbags : WHAT EVERY WOMAN SHOULD KNOW

1901年から2006年までのその年に流行ったバッグなどを紹介した1冊です。


出版社:David & Charles

ISBN:0715324950

発売日:2006年10月13日

寸法:178×180×16ミリ・128ページ

定価:US $12.99


Handbags : WHAT EVERY WOMAN SHOULD KNOW
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Handbags : High Fashon

Exotic Materials(エキゾチック素材)の章では綺麗なクロコのバッグが多数

掲載されていて見応えあります。

その他にはリザードとオーストリッチとヘビ革のバッグが掲載されています。

Evening Styles と Special Daytime Styles の章では色々なブランドの

それぞれのカテゴリーに合ったバッグが紹介されているので見やすいです。


出版社:Schiffer Publishing Ltd.

ISBN:9780764325083

発売日:2007年11月15日

寸法:224×290×22ミリ・192ページ

定価:US $39.95


Handbags : High Fashon
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Handbags : Roseann Ettinger

20世紀までのハンドバッグや20世紀初期、ビーズのバッグやメッシュのバッグ

1930年代〜1950年代までのバッグの歴史などを紹介した一冊です。

当時のバッグの広告写真もなかなか素敵です。


出版社:Schiffer Pub Ltd.

ISBN:0764317229

発売日:2003年8月30日

寸法:279×216×15ミリ・192ページ

定価:US $29.95


Handbags Roseann Ettinger
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Valextra

1937年、ジョバンニ・フォンタナによってミラノのサンバビラ広場で創業された

ヴァレクストラは、当初革小物のみを扱う店舗にすぎませんでしたが

第二次世界大戦後の1947年に店舗2階に工房を構え鞄づくりを始めます。

その独自のデザイン性と正確な縫製やコバの仕上げ、最高品質の革などが評判を呼び

1950年には30人の職人を抱えるほどの工房に成長しました。

1954年にはオーバーナイト・ブリーフケースの「24ore」がコンパッソ・ドーロ賞の

第一回受賞作となり、1970年代にはニューヨーク近代美術館(MOMA)の

永久展示品に選ばれました。


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革新的なデザインで言えば、3つのツマミの錠前「シャーロック・ホームズキー」は

他の錠前とは類を見ない機能性と美しさで1954年に国際特許を取得しているほど。

また、マネークリップを世界で初めてつくったのもヴァレクストラと言われています。

この本の中でも、次から次へと斬新なデザインと新しい構造を考えサンプルをつくり

模索している様子がうかがえます。

個人的には、奇抜なデザインのものより、シンプルでありながらも存在感のある

象革やカバ革、アザラシの革などでシャーロック・ホームズキーを使っていた頃の

ビジネスバッグのオーラに、憧れや理想のようなものを感じていましたが

最近のヴァレクストラのバッグからはあまりオーラが感じられません。。。

ヴァレクストラの名は「valigeria(ヴァリジェリーア)/ カバン製造工場」と

「extra(エクストラ)/ 特別」の造語で「特別な鞄」を意味しているとか。

また一職人がオーラを感じて刺激を受けるような「特別な鞄」をこれからも

つくり続けてくれることを期待しています。


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ミース・ファン・デル・ローエ
3月27日はドイツ出身の建築家ルートヴィッヒ・ミース・ファン・デル・ローエの

生誕126周年を記念したドゥードゥルになっています。

1886年3月27日ドイツ西部の町アーヘンに生まれたミース・ファン・デル・ローエは

大学で正式な建築教育を受けることなく、地元の職業訓練学校で製図工を学んだ後

17歳からリスクドルフの建築調査部で漆喰装飾のデザイナーとして勤務しました。

その後1906年(20歳)にブルーノ・パウルの事務所に勤務し

1907年(21歳)同僚の紹介により初の作品となるリール邸を設計します。

この仕事が認められて、1908年から1912年まで建築家ペーター・ベーレンスの

事務所で本格的に建築を学び1912年、26歳の時に独立して事務所を開設します。

1929年(43歳)にはバルセロナ万国博覧会で、鉄とガラスで構成され

大理石の壁を配したドイツ館のバルセロナ・パヴィリオンを設計しています。

パヴィリオンは博覧会終了後に取り壊されましたが、1986年に同じ場所に

復元されて「ミース・ファン・デル・ローエ記念館」となっています。

バルセロナ・パヴィリオン

バルセロナ・パヴィリオン(1929・バルセロナ)

1933年(47歳)アメリカに亡命し、1938年から1958年までシカゴの

アーマー大学で建築学科の主任教授を務める傍ら、様々な建築物を設計していきました。

1944年(58歳)にアメリカ市民権を獲得。

1950年(64歳)には四方をガラスの壁で囲まれた有名なファンズワース邸が

設計されています。

ファンズワース邸

ファンズワース邸(1950・イリノイ州)

「Less is more(より少ないことは豊かなこと)」という標語も有名で

近代主義建築のコンセプトの成立に貢献した建築家であり、ル・コルビュジエと

フランク・ロイド・ライトと共に、近代建築の三大巨匠と呼ばれています。

今日のドゥードゥルは彼が60代の時に設計した「イリノイ工科大学クラウンホール」が

モチーフになっていました。

イリノイ工科大学クラウンホール

イリノイ工科大学クラウンホール(1956・シカゴ)*画像はWikipediaより

ミース・ファン・デル・ローエ

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LOEWE

1846年、数人のスペイン人職人によってマドリード市内のロボ通りに皮革工房が

開業され、当時は葉巻入れや煙草入れといった製品を扱っていました。

その後1872年、ドイツ生まれの皮革職人エンリケ・ロエベ・ロスバーグが

マドリードへ訪れてこの工房を見学した際、職人たちの技術、素材や品質の高さに

感銘を受け、共同経営として工房で働くことになったのが「LOEWE」の原点です。

次第に彼らの手掛ける皮革製品がマドリードの貴族たちを魅了するようになり

それにともない工房の規模も徐々に大きくなり、1892年にはマドリード市内の

プリンシペ通りに店舗併設型の工房である「E.LOEWE」ブティックを開き

1905年には、当時有力な顧客であったコンキスタ公爵夫人によって

LOEWEの2代目当主エンリケ・ロエベ・ヒントンがスペイン王室に紹介され

国王アルフォンソ13世から王室御用達の称号を授かりました。

以降、Lの文字を4つ組み合わせたモノグラムのエンブレムに一部冠のマークが

取り入れられるようになりました。

その後もスペイン王室で愛用され、1996年にはルイ・ヴィトンなど多数の

高級ブランドを抱えるLVMHグループの傘下に入り、皮革製品とプレタポルテの

2分野を中心に事業展開を進めています。

この1846年の開業からLVMHグループの傘下に入る1996年までの歴史を

212ページに刻んだ1册にです。


私が仕事を始めたばかりの頃、様々なブランドのバッグを見て勉強していましたが

その当時LOEWEのバッグの中にデザインや仕様が独特のつくりのものがあって

どのように型紙をつくればこの形ができるのだろうと悩み研究したものです。

今でもLOEWEの使用する仔羊皮を鞣したシルクのようなナッパレザーは

とても高品質で素材へのこだわりを強く感じています。


LOEWE
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LONGCHAMP

1940年代初めのこと、パリのポワソニエール大通りにあった父親の煙草屋を継いだ

ジャン・キャスグランは喫煙具業界に革命をもたらす革巻きパイプを制作して

市場にブームを巻き起こし高級ブランド業界への仲間入りを果たします。

1948年には、コレクションを増やして革小物を専門に扱う「ジャン・キャスグラン

&カンパニー」を設立し、革を巻いたり漆を塗ったり、時にはカスタマイズを施した

高級革小物にパリ中が夢中になったそうです。

ジャン・キャスグランの革巻きパイプには、誕生した当初からロンシャンの銘が

刻印されていました。その理由は父方の姓「キャスグラン」は従兄がすでに

風車のマークとして使用していたためキャスグランの銘が使えず、そのパリに残る

最後の風車がロンシャン競馬場の奥にあったことからロンシャンと名付けました。


ジャン・キャスグランは将来やってくるであろう愛煙家の顧客減少を予期して

紳士物の革の財布をウィンドーに飾ったことがターニングポイントとなりました。

革小物の他にも柔らかいラム革製のガーメントバッグが飾られるようになり

各販売店では徐々にバッグが喫煙具にとって替わってゆくのでした。


ロンシャンのウェブサイトのムービーが好きです。


LONGCHAMP
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まだまだ

甘えん坊のあられ

メールの返信などで忙しくパソコンに向かっていると

かまってもらえないことにすねてわざと脚の上に乗ってきたりします。

バランス悪くて居心地良くないくせに...。^^

しかたがないので少し遊んであげると、気が済んだようで

ご飯をちょっと食べてまた椅子の上で眠りにつきました。


まだまだ
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フアン・グリス

3月23日はスペインの画家フアン・グリスの生誕125周年を記念した

ドゥードゥルになっています。

1887年3月23日スペインのマドリードで14人兄弟の13番目として誕生した

フアン・グリスは機械製図を学んでいた16歳から18歳まで現地で芸術的指導を受け

1906年(19歳)パリへ渡り、ピカソとジョルジュ・ブラックのアトリエ近くに住み

2人によって創始された、それまでの具象絵画が一つの視点に基づいて描かれていたのに対し

いろいろな角度から見た物の形を一つの作品に表現したキュビスム(立方体派)の

影響を大きく受けることになります。

フアン・グリスの作品は、キュビスムの中でもカラフルな色彩をもっており

比較的明確な形態で、いずれの作品も何が描かれているか分かりやすいものであり

キュビスム最大の特徴の1つである画面の細やかな分割を基本にして黄金分割を重視したり

色彩が反転するような画面構成を意識的に多用したりしており、見た目や感覚だけでなく

理論を重んじていたことがうかがわれます。

ピカソとブラックがキュビスムから離れた後も、フアン・グリスはキュビスムにとどまり

1927年5月11日、41歳の若さで亡くなるまで生涯キュビストとしての活動を続けました。


フアン・グリス
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DELVAUX : 180 YEARS OF BELGIAN LUXURY

1829年にシャルル・デルボーによってベルギーの首都ブリュッセルの中心

エンペラー通り7番地で創業した「DELVAUX」の180周年を記念して

デルボーの歴史とともにその時代につくられたバッグやアトリエの写真などが

224ページに渡って紹介された一冊です。

創業当時の移動手段と言えば馬車であり、その当時の人々を悩ませていたのが

馬車の出すホコリで、そのホコリが鞄の中にほとんど入らないという当時では

画期的な鞄をつくっていたデルボー。

デルボーの鞄は王侯貴族をはじめとする上流階級の人々に愛され、その技術と

品質が評価され1883年にはベルギー王室御用達を授かるほどになりました。


YouTubeでハンドバッグの制作風景も見られます。


DELVAUX : 180 YEARS OF BELGIAN LUXURY
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Designer Leathers GO

0002213.jpg 手縫い鞄のオーダーメイド工房 『Designer Leathers GO』の鞄職人GOです。 制作風景や愛猫のことなど日常感じた日々の出来事を記しています。

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