閏年の2月29日はイタリアの作曲家ジョアキーノ・ロッシーニの生誕220周年を記念した
ドゥードゥルになっていました。
1792年にイタリアのアドリア海に面したペーザロで生まれたジョアキーノ・ロッシーニは
トランペット奏者の父と歌手の母という音楽一家で育ち、1800年(8歳)にボローニャへ
移り住み、ボローニャ音楽学校で学びました。
1810年(18歳)にフィレンツェで一幕のオペラ・ファルサ「結婚手形」を初演し
オペラ作曲家としてデビューします。
1813年(21歳)に「タンクレーディ」と「アルジェのイタリア女」が初演後
たちまち大ヒットしてヨーロッパ中に名声が轟き、1816年(24歳)に作った
「セビリアの理髪師」でその地位を不動のものとしています。
代表作の一つ「ウィリアム・テル(ギヨーム・テル)」は1829年、37歳の時のもの。
「序曲」は運動会などのBGMで幼い頃からお馴染みですね。
1868年(76歳)に永眠し、現在は皮革に携わる者には馴染みの深い
イタリアのサンタ・クローチェ教会に眠っています。
ドゥードゥルは、閏年(Leap Year)の Leap(跳ぶ、はねる、跳躍する)に
掛けたと思われるカエルのイラストで、ピアノに合わせて歌う女性と理髪店の様子が
オペラを楽しんでいるかのように描かれていました。
まだ少しフラフラしましたが、今日から仕事復帰することができました。
ご心配くださったみなさまありがとうございました。
風邪なのか、食中毒なのか、よく分かりませんが土曜日目が覚めると腹痛と吐き気があり
その後1日中嘔吐を繰り返し、胃の中が空っぽになると余計に苦しくなったので
吐き気を催したら水をたくさん飲んで嘔吐しやすくしていました。
熱も39度まで上がったのでインフルエンザなのかとも思いましたが
次の日には37度台まで下がったのでインフルエンザではないのかな…? と思ったり。
でも何か変な物を食べた記憶もないし…と悩みながら日曜日も1日安静に寝ていたら
なんとか今日から、休み休みですが仕事を再開することができました。
凄く辛かったですが何も出来なかったのが2日間だけで済んでほんとに良かったです。
嘔吐している最中、あられも毎回トイレまで付いてきていたので私の様子がいつもと違い
体調が悪いことが分かるようで、全く我がまま言わず、ご飯を催促することもなく
おとなしく一緒に寝ていてくれました。
ただ脚の間で眠るので、ただでさえ熱が出て熱いのにあられの体温が余計に熱く汗だくで
それに加えて熱のせいか腰がずぅ〜んと痛く、どの姿勢をとっても痛くて熟睡できませんでした。
でもあられがずっと看病してくれていたので早く良くなったんだと思います。^^
昨日の六本木の用事は以前紹介させて頂いた古山浩一さんの「獺祭展」へ行くことでした。
ウナックサロンへは初めて行きましたが、神谷町から歩いて行くと高層ビルの谷間の
静かな住宅街の古い町並みの雰囲気が気持ちよく、のんびり散策しながら向かいました。
ウナックサロンはオートロック付きマンションの一室のギャラリーなので
1階ロビーからインタフォンを鳴らして開けてもらわなければならず少しドキドキしましたが
そんなことも新鮮で、雨上がりの静かな時間を楽しむことができました。
この日は古山さんの在廊日ではなかったので残念ながらお会いすることは出来ませんでしたが
小さな可愛らしいイラストから、大きな迫力ある作品まで、古山さんらしい独特の世界を
感じられて楽しい時間を過ごしました。
26日(日)までですのでお近くにお越しの予定のある方はぜひ。
この星男シリーズの中に書かれているコメントがユニークで好きな作品です。^^
母の誕生日を祝いに実家へ行ってきました。
途中もうひとつの用事(明日また改めて書きます)で、たまたま通りかかった六本木
なんとなく惹かれて入った「U.GOTO FLORIST」というお花屋さんで
サクラソウ科の「プリムラ」をプレゼントに選びました。
するとプリムラを包んであった袋の名前を見て叔母が少し驚いて言いました。
何とこのお店は亡くなった祖母がお気に入りでよく利用していたお花屋さんだったとのこと。
実家とは関係のない土地の、おそらく初めて通った道でたまたま入ったお店が
祖母のお気に入りのところだったなんて何とも不思議な運命を感じました。。。
ご飯は近所のカジュアルなイタリアンでジンバックを飲みながらピッツァやドリアを
たらふく食べて、帰ってきてからケーキを食べてもぉ〜お腹いっぱい!^^
2月22日は物理学者ハインリヒ・ヘルツの生誕155周年を記念したドゥードゥルでした。
1857年2月22日にドイツのハンブルグで誕生したハインリヒ・ルドルフ・ヘルツ
ベルリン大学のヘルムホルツの元で物理学を学び、1883年(26歳)にキール大学で
理論物理の講師となります。
1885年(28歳)にはカールスルー工大学の教授となり接触力学に関する論文を2編発表し
1887年(31歳)の時に「電気は波となって、光と同じように空間を伝わっていく」と
予測したマクスウェルとファラデーの、電磁波が空間を伝播することを実証します。
しかし1894年(36歳)の若さでウェゲナー肉芽腫症により亡くなりました。
その後、ヘルツの名前は周波数を示す国際単位として採用され
「1秒間に1回の周波数・振動数」が1ヘルツと定義されました。
⇒ J (12/29)
⇒ GO (10/30)
⇒ fu (10/29)
⇒ robert Pimenta (07/17)
⇒ GO (11/22)
⇒ けろ (11/15)
⇒ GO (07/30)
⇒ First Production (07/29)
⇒ GO (07/02)
⇒ tys (06/30)